台湾に来て4年、起業の振り返りとこれからの時代の生き方を考えてみた

こんにちはデグです。台湾に移住してもう4年です。

最近、この4年間を振り返ってなんだか生き急ぎすぎてる気がしました。

てことでのんびりしてます(゚∀゚)

この記事では2014年4月に台湾に移住して以来の出来事をざっくり日記的に紹介。

最後に自分が体験してきたこと・勉強してきたことをもとに「これからの時代こういう風になっていくんじゃないか?」ということを書いています。

2014年

2014年に台湾に部屋を借りて移住。

中国語を日本で勉強するも起業に全く役立たなかったのが印象に残ってます。

4月:台湾上陸

このころは自分の就労ビザについて悪戦苦闘してましたね。
会社を作りながら、テナント探し、ラーメンの開発、スタッフの募集・・・とやることが山のようにありました。

9月:武藤拉麺の開業

テナントを借り5ヶ月、ようやく開店にこぎつけるものの就労ビザが手に入らないことが分かり焦っていました。

このころワーホリビザでやってました(笑)

週6で朝から晩までラーメンを作り休みの日は事務仕事、と間違いなく人生で1番働いた時期でした。

そんな生活でも当時の記事を見ると充実してたんだなぁと思います。

2015年

でも自分の充実とビジネスの成否は全く別物と気が付き始めるのが2015年ですね。

とにかく高コスト体質の店だったので、全然利益が貯まりません。

儲かった!と思ったら、社員のボーナス時期がきてスッカラカン。
後手後手で資金繰りがかなり苦しくなってました。

しかも施工業者の設計ミスでキッチンの排熱がうまくいかないことが発覚。

キッチンの温度は50度近くを記録。

まるでサウナの中でのラーメン作り・・・

「これは死ぬ」と思ったのを今でも覚えてます。

そこでいちかばちか夏にむけてとんかつ屋へと改装したのです・・・・。

でぐ
なぜとんかつなのか今でもよくわからない(日本食と言えば?の第3位が確かとんかつだった)

当時は考えに考え抜いての決断だったのですが・・・・

10月:とんかつ屋からラーメン屋に戻る

やはり売上には大ダメージ。

とんかつ屋に改装したこと自体は、長期的に見てプラスに働きましたが当時の資金繰りは悪化。

倒産か?というところで追加融資を受けラーメンに戻し延命できました。

この頃の赤字がその後の利益をずーっと食いつぶしてたんですよね、経営判断ミスはこわい。

12月:結婚

忙しい中でもちゃっかり恋愛はしてたりして奥さんと交際1年を経てスピード婚。

上記に書いたように週6で仕事して、休みの日は事務仕事だったのでよくスタバでデートしてました。
ぼくはPCで作業して横に奥さんが居るだけ・・・という。

でぐ
よく結婚できたよな、と思う

そんな経緯も以下のインタビューでまとめてもらいました。

2016年

そして2016年、結婚したので奥さんのママの家に転がり込む生活がスタート(家賃は払わされるw)

とんかつ屋で人気だったメニューを取り込んでラーメン屋にもどし、売上は堅調。

台湾人が求めてるのは「ラーメン」じゃない

と気がつくことができました。
考えてみたら台湾に専門店ってないんですよ、ラーメン屋、うどん屋、そば屋、天ぷら・・・・それは日本のやりかたです。

とんかつ屋の失敗を経て海外ビジネスの本質に少し近づいた1年でしたね。

5月:結婚式

結婚式を台湾でやりました。

国際結婚は大変ですね、顔合わせや諸手続きで時間も金もなくなりました。

日本からテレビ局が来て取材されたりとかもありました。(集客効果はゼロですがw)

8月:初の日本人店長雇用

そして次のステージ、2号店を計画するためにも自分の後釜を育成することに。

当時ブログで募集して6人ほどの応募がありすぐに人がみつかりました。

ここで日本人にビザを出すことの難しさも知りましたね。

またこのころに開店から働いていてくれたスタッフは全員退職しました。
(いま振り返っても台湾人やめるのは早いよなと思いますw)

若いメンバーが中心だったのですが、これを機に大学生ノリの経営はぼくの中で終わりを告げました。

2017年

2017年は子どもが産まれプライベートは激変。

また「なんでも自分でやりたい」を抑えて「人に任せる」ということに挑戦していた1年ですね。

この年から明確に武藤拉麺を自営業ではなく、組織として拡大していこうというビジョンを固めました。

社員を集めて2020年までに3店舗出店、年商1億円が目標とミーティングでコミット。

そして日本での収入の柱を作るためにアフィリエイトを本格的に復帰しました。

店の組織化、自分自身の収入源の分散化に取り組んだ1年ですね。

3月:長男誕生

3月は子どもが産まれ、これまた結婚と同じく手続きに追われていました。

ただ家にいることが多くなったのでアフィリエイトの仕事は順調に進みました。

9月:2号店探し開始

そして2号店の立地も並行して探していました。

1つ良いところが見つかったんですが銀行の借り入れ利子が非常に高かったので奥さんママに相談したんですね。

これが大失敗!(笑)

詳しくは書きませんが、結局他の人に物件をとられる結果に。
別口で資金調達すべきでした・・・。

立地探しといっても1日中外にいるわけではありません。

PCを使うアフィリエイト作業と非常に相性がよく、2017年が終わる頃にはサラリーマンの月給ぐらいの収入は入るようになりました。

2018年

そして2018年、今はほとんど店には立たなくなっています。

スタッフの採用も日本人店長に一任し報告を受けるだけの体制にしました。

3月:過去最高の売上の更新

そして自分がいない店は過去最高の売上を記録。

ずっと抱えていた「俺がいないとダメ」という気持ちを綺麗に否定でき、成長したなと実感しました。

店のグーグルレビューもずっと良い調子ですし、感謝です。

そして子どもは1歳に。

今後は2号店と収入の分散化

現在も店探し&アフィリエイトを継続しているという感じです。

2号店に関しては自分の納得いく立地でしかやらないと決めています・・・のでいつになることやら(笑)

これからの生き方「縦ではなく横」

ITリーマン、ラーメン屋、アフィリエイト、投資・・・これだけいろいろやってきて自分なりの人生のスタイルというか型が固まってきました。

そして世の名はこうなるんだろーなというのも何となく見えてきました。

それを一言でいうと「縦ではなく横」です。

これが今後10年の生き方のトレンドになると思います。

これまであったような企業を大きくし利益を追求していくことよりも、小さいチームを横につなげていく時代です。

1人の人間がラーメン屋でもあるし、Web屋でもあるし、投資家でもあるし色々な属性をもちます。

そして所属するコミュニティが結果的にセーフネットになったり、チャンスを増大させていく。

でぐ
1つの会社で出世(縦)を目指すより、プライベートで仕事したりする(横)って感じかな

 

なので武藤拉麺にもそのビジョンは反映させていくつもりです。

会社に力を集めるのではなくうちに居る台湾人・日本人に力を分け与えて組織を横に伸ばしてくイメージです。

 

ぼくの収入の分散化が進めば進むほど、この会社の利益を投資に回せます(給料UP、2号店)

スタッフにはその利益を持って自分のビジネスをつくっていってもらいたい。
そしてぼくとスタッフがつくった店に主従はなく(金銭的な貸し借りやルールはあったとしても)横につながるイメージです。

もちろんこういったビジョンを持っていることと「ラーメン・サービス」の品質は別次元の話なので、そこをコントロールしながらやっていかないといけません。

・・・と、そんなことを考えてたりします。

 

まあ辞めていったスタッフとたまにあって食事しながら「こういう風に考えてる」という話をしても全然うまく伝えられないんですけどね(笑)

概念ほど説明が難しいものもないので、わかりやすい結果(2号店進出)で示しながらやっていこうと思います、頑張るぞ〜。

台湾で起業したラーメン屋の売上、失敗した2号店の事情を公開!

台湾ラーメン屋の起業記録

2014年に台湾・台北で起業したラーメン屋「武藤拉麺」の全売上を有料にて公開しました。
リアルの売上額や以下のことを書いています。
【目次】

  • 店を開業するのに投資した費用
  • 最低利益率と最高利益率について
  • 営業情報(坪数、営業時間・・等)
  • 就労ビザについて
  • 台湾での飲食店起業はアリかナシか?

そのほか購入いただいた方からの質問の回答なども盛り込んでいます。

これまで150部以上買っていただいております。興味がある方はぜひどうぞ!

2号店の失敗、その損失と教訓について

-2019年10月-
ラーメン屋2号店を立ち上げるも4ヶ月で撤退。その理由は?損失額や反省、教訓を公開しました。

【目次】

  • 第一部:2号店の損失額(開業費、運営費用、撤退費用)
  • 第二部:店舗探し〜開業〜閉店・店舗売却までのタイムライン
  • 第三部:2号店失敗の分析、これから開業する人に知ってほしい教訓
  • 番外編:5年の経験と2号店の失敗を経ての「海外ビジネスの難易度」

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